依存関係から愛の関係を目指す旅

しばらくゴチャゴチャしたあと、更にまた一皮むけたねこです。ぽちゃねこ夫婦のダークサイドを洗いざらい吐きます。二人の間ではすでに笑い話になっているので、ご安心してお読みくださいませ。

仮面夫婦の終焉

昨年12月ごろ、ちょうど10年間続いた妻ぽちゃことの依存関係(ボクたちはそれが愛とかパートナーシップだと勘違いしていた)は、ちょっとしたきっかけで崩壊した。これまでも色々なぶつかり合いはあったのだが、ぽちゃこがフリースクールを始めるにあたり、精神的な自立を始めたことで、ついに問題が表面化したとも言える。

ぽちゃこが風邪を引いて数日寝込んだのだが、その後、ぽちゃこは洗濯がされておらずゴミ袋が替えられていないことで、ボクに対して今までの積み重ねも含めて堪忍袋の緒が切れ、「最低な男と幸せな家庭を築くほど暇じゃないし、ボランティアじゃないんだよ。」「精神的に自立してほしい。」と言った。

もちろん、ボクが自立しようとしていなかったことが問題であって、ご飯の準備はしたとか、ゴミ袋が替えられていなかったとかは重要ではなかったのだ。その頃のボクは、ぽちゃこが怒ったことに対する謝罪と言い訳に終始し、その場を取り繕おうと必死だった。それが更に逆鱗に触れた。そう、いつでも離婚OKと言わせるぐらいにはね。

ぽちゃこの自立

この何年か、TOECフリースクールの思想に触れたぽちゃこは、変わることに必死にもがき苦しんでいたように思う。自分の持つ閉ざされた心の扉に触れて1ヶ月寝込んだこともあったし、人に会うのが怖くなって家から出られない時期もあった。

ぽちゃこはついに昨年の夏頃、父親とハグをして、和解を果たしたといっていい状態になった。幼少期の父親との関係が不十分であったことが、今の今まで尾を引いていたらしい。

その後、ぽちゃこはとあるきっかけからフリースクールの立ち上げを決心し、体験会を決行するといった行動に移すなど、どんどん自立の道を歩んでいた。

そんなところに、今までの依存的な関係を維持しようとするクズな旦那に直面したことで、心の底から腹が立ったということには相違ない。

ボクの起こした事故

それまでべっとり依存関係を育んでいたパートナーであるぽちゃこによって、ついに崖から落とされ、ぬるま湯生活から現実という闇の海に落とされたボクは、今まで自分の中には特に問題はなく、普通に幸せに生きていると勘違いをしていた。

少し遡るが、5年ほど前、3人目の子どもが生まれてすぐ、ボクは会社の上司によって、コンパニオンの女性がおしゃべりしながら乳房を見せたり触らせるタイプの風俗店に連れて行かれた。それがバレるのに時間はかからなかった。めちゃくちゃ勘の良いぽちゃこは、翌日に見抜いたのだ。

当時の自分は、別に着いて行きたいと希望したわけではないが、上司が行きたそうだったことで、その店に行くことを断りきれずに、一緒に入店してしまった不可抗力だと必死に妻に言い訳した。自分を守るため、「乳は一切触っていない」と嘘をついた。その嘘は妻が壊れるのを防ぐためだと、ボクは自分に言い聞かせていた。(入店したのも、触ったのも、自分に自信が持てず、勧められたら拒めなかったのが原因だが。)

もちろん、妻はその言葉を信じ切ってはいなかったし、入店した事自体も信頼できないと言い、その日から妻はボクとすることに気持ちが入らず、辛くなっていったらしい。あちらはあちらで関係性を壊したくないと思い努力をしていたが、それでもボクが気づかないし、ボクは妻に満たされない感情を更にぶつけた。

(まだ時々あったころ)「最近マグロだね。」

(レスになってから)「このまましてくれないなら、他の人としようかと思っていた」

ただ、そのおっぱい事件は単なる不運ではなく、今にしてみると、起こるべくして起こった出来事としか言いようがない。

ボクたちは最初から間違っていた

そもそも何故そのような事件が起きたかと言うと、今思えば、ボクたちの関係性は最初から表面上だけの夫婦で心からわかりあえていなかったし、ボクは妻に十分に愛されていると勝手に思い込んで、ぬるま湯につかって、天狗になって、あぐらをかいていた。

はじまり自体が本当の恋(だと今のぼくたちが思っているもの)ではなかった。11年ほど前のあの日、お互いに寂しい瞬間に、偶然と偶然が重なって、つきあってしまったのだ。肉体的にも。

(もちろん、ボクたちが出会ったこと自体は、かけがえのない出会いであり、それ自体が否定されるわけではない。付き合い方、自分自身の在り方が、間違っていたのだと、今では思っている。)

当時、「これが運命の恋で、これが真実の愛」だと思い込む程には、お互いに依存し、縛り合っていた。ボクはそれまでの趣味や友人関係を捨て、「裸の人間として付き合う覚悟」と言う名の、ぽちゃこが居なければ成立しない、ただの奴隷1号として、ぽちゃこに尽くし続けた。

まったくわかりあえない

まったく自立していない依存的な二人の間には、次第に「愛」ではなく「わかりあえない」気持ちが育っていった。ボクは「(手伝ってくれないと言われたことに対して)頼んでくれればやるのに!」「したいときにSEXしてくれない」「他の男と会うことや他の男のことを褒めるのが許せない」とかね。

本当にわかりあえていないことを、深層心理ではお互いに認識していて、自分の気持ちを素直に伝えず、相手を思い通りにしようとすることが「愛」だと勘違いしていたのだと思う。

怒涛の半年

さて話を12月からの話に戻そう。以前の記事でも書いたが、どん底に突き落とされたところで、ボクはコミュニケーション講座を2月に学びに行った。

そこから大きく二人の関係性が変わり始めた。少しずつ本音で話し合いを始め、これまで好きだと思っていたはずの相手のことが、お互いにそこまで好きじゃなかったかもしれないとボクは思い始めた。かと言ってボクは離婚するほど嫌いでもないし、離れると精神が平常を保てないほどにはまだ依存していた。

ぽちゃこがついにこの質問を投げかけた。「本当はおっぱい触ったんでしょ?」ボクはついに観念して、コンパニオンの乳に触れたことも暴露した。ボクには触ったのカウントに入れたくないレベルのもので、それがいけないことであると認める悔しさもあったから、色々言い訳をした。

そうして最も気持ちが離れた時、ぽちゃこは「アナタはただの友だちだから、お風呂も一緒に入らないし、身体に触らないで欲しい」というようなことをボクに言った。ボクは表面上それを尊重したが、「お金だけ取って、身体はくれないのか」というようなことを言った。ザ・クズすぎるで賞を授与します。

藁にもすがろうとするボク

これまでの依存関係を辞めたら、何も残らないところまで来てしまっていたことに薄々気づいたボクは、必死で偽の愛を言葉で伝えた。

「ボクのことを愛してると言ってハグしてほしい」

「ボクには君が必要だ」

「君がボクを捨てたら、ボクはボクで居られなくなる」

(そりゃそうだ、これまで全ての自我を捨てて奴隷になっているんだから。)

この数カ月間、ボクはどんどん離れていくようにみえる妻の言葉に、絶望し、やっとついに自分と向き合う気持ちが生まれ、幼少期で歩みを止めていた自分をいくつも見つけ出した。(それまで自称3歳を公言するほどだったからね)

ボクは、ずっと、消化しきれない思いを抱え続けて来たのだ。それは妻と出会うよりずっとずっと前から始まっていたことだ。

次々と見つかる、本当の自分

コミュニケーション講座のときに発見した本当の自分は、「怒られるのが怖いから本音が言えない」であったことは以前にも記事にした。その時は、ついに心の闇の中のラスボスを見つけたことに歓喜し、周囲にも言いふらしていたボクだが、全然、それだけじゃなかった。

ボクは自分のことを全然知らなさすぎた(知っていたが無視していたのだが)本音が言えるようになって様々な気持ちが発見された。妻の始めたフリースクールのスタッフとして、子どもたちと本気で遊ぶ中でも色々な気持ちが思い出された。

「ボクが美味しいと思うものをみんなにシェアしたい」

「掃除は好きじゃないけど、片付けは好き」

「事前のイメージで行動するので、突然の予定変更が辛い」

「ニコニコ笑って挨拶し、みんなとおしゃべりしたい」

「仕事は集中的にやりたい」

「見守るのではなく、子どもと一緒になって思いっきり遊びたい」

「嫌いだと思っていた運動が好きだった」

「人から必要とされたい、愛されたい、ハグされたい」

こういうことを、今まで表に出さずにずーーーっと抱え込んで、整理されないモヤモヤした気持ちばかりを抱えてきた。辛かったねぇぇぇ。おバカだねえぇぇぇ。

最後に出てきたもの

先程リストアップしたものは今はかなりポジティブな書き方ができているが、それが家庭内のバトルのもとになったりもしてきた。

ちょっとずつ深いところに触れ始め、現時点で調査が終了した中で最も深いところにあったものは、、、、

お母さんに愛されたかった。もっとハグしてほしかった。

だったのだ。お母さんから得られなかったものを、妻に求めていた。「鏡の法則」「引き寄せの法則」などと言われる法則がある通り、父との関係に物足りなさがあったぽちゃことは、ある意味「お似合い」であったわけだ。

お互いに、異性親との関係に問題を抱えたまま、それを偽りの恋愛相手に求めていた。ぽちゃこは半年ほど前に清算したが、ボクはお母さんに気持ちを伝えるため、久しぶりにヘミシンクのCDで瞑想をしたのが昨日。それを伝えられたのが今朝。腹の中の黒いものを出し切ってスッキリ爽快したような感覚。

(まだあるかもだけれどもね。)

妻との新しい関係性の構築へ

依存関係から脱却したことで、今現在、妻とは本当に、法律上の夫婦なだけのただの同居人になった。「仮面夫婦」から「書類上の夫婦」へ。シェアハウス生活始まる。(書いてて自分で痛い!)

ボクは妻とは10年間成長し合ったかけがえのない存在で、人をより良い方向へ導くことのできるステキな人間として尊敬しているし、女性としても魅力的で、愛を与えたい存在だと思っている。かつて勘違いの恋愛はしていたが、3人の我が子を育てている仲間であることには変わりない。

この先、イチから本当の好き同士になっていくのか、他に本当に愛し合える人間を見つけて別の方向に行くのか、新しい共同体の形を見つけるのか、、、それはまだわからない。

「自立した人間同士の恋愛とはどんなものなのか?」

「真実の愛とは?」

「二人の人間が「わかりあえる」ってどういうことなのか?」

そのあたりが今後の課題。

みなさま、乞うご期待!

(良ければご感想を賜りますと、大変嬉しいです。「読んだよ!」だけでもうれぴー。)


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