愛というものは、なかなか伝わらない。
…特に見ず知らずの他人であるほどに。
相手を思いやると言うことは、表面上優しくするということではないと僕は思う。お互いに幸せに生きるための行動が愛だと思う。
SNSで絡まれたら
例えばインターネット上のSNSのフォロワーで僕のことを嫌いな人がいるとする。何か投稿すればイチャモンつけてきたり、否定的コメント付けて暴れたりする。その人をなんとかしたいと思うと、できることは次のことだと思う。
- 彼が正しい、彼の言う通りだからと、投稿を訂正・削除する。
- 彼は悪いやつじゃない、僕の投稿を勘違いしているだけだ、もっと解りやすく明すればわかる。または、僕が正しい、しっかり論理的に意見を話せば、理解してもらえるはずだ。
- ブロック。
1は僕はやったことがないが、それをやってる人は多分いつも誰かの言いなりになってしまう人だろう。それで自分が良いならいいが、その投稿がよく考えた投稿であるほどに、無駄な時間を使っている様に見える。
最初は2が愛情だと思っていた。しかし、実際にやってみたらどうだったか。もっと勘違いをするか、勘違いは解除されないまま、感情的に喚かれるだけであった。そう、「みんな話し合えばわかりあえる。」は幻想だったのだ。言葉や文化、信条の違う人は、何を言っても通じないのだ。話が通じれば、宗教対立も戦争も存在しない。
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離れるが吉
つまり僕ら一般人にとっての答えは3である。(公共性のある人物は2をやらないといけない場合もある、それが政治家などの名誉職のデメリット)
結局の所、そんな人を可愛そうだからと放っておいておくとか、説得すればなんとかなると思ってやりあうとか、ましてや僕の投稿が間違いでしたと謝ったところで、お互いに気分の悪いままである。第三者はどちらが正しいかわかるだろうが、ただただ疲れるので関わらないのが吉だ。
…大体そういうのは嫉妬である。その人が僕より家庭にもお金(仕事)にも恵まれている人だとしたら、いちいちケチをつける必要がない。そっと離れればいいだけの話である。彼は僕の投稿をみて彼よりも僕が恵まれているように見え、自分の投稿が妬ましく思ってしまう状況に置かれているのだ。そして自分のレベルまで引きずり落とそうとしている。同レベルでやりあったら、僕も彼と同レベルになってしまう。
自分のことを嫌いな人は、何を言っても嫌いなんだから、さっさと見えないようにしてしまうのがいい。相手にとっても嫌いな人が見えなくなるので毎日幸せに過ごせるだろう。つまり、愛のブロックだ。
人が一度敵とみなした人間を味方と再認識することは中々ない。もちろん、どんなことでも、解決の糸口がないわけではない。
話し合えばわかる人間は、10人中1人いればいい方。ある意味、「人間とはこういうもの」と割り切ることでもある。10%ぐらいの可能性に掛けるのは、リターンの少ないギャンブルだ。わかりあえれば1億円位もらえるなら考えてもいいと思う。(笑)
大抵のケースは、わかりあえなさそうなときは、ブロックするのが無駄な時間を過ごさないで済む。長期的な目線で考え、お互いに幸せになれる選択をすることが、意外と深い愛情なのでないかと思う。
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