うまい!とは何か、人間本来の食べ物

前回は、砂糖と化学調味料がオイシイと感じても自然界本来の食べ物ではないと書いた。

自然界の人間本来の食べ物とはどんなものだろうか。植物に書いてあるわけでもなく正解の答えなど無いが、考えてみることにした。

By: Jeff AttawayCC BY 2.0

人間の身体能力

動物がそうであるよう、人間に無駄なものは何一つ無い。完璧にデザインされているという前提で、人間の身体能力を考えてみよう。その上で、できることを考えてみよう。

手の能力

まずはものを手に入れる基本である、手で物をつかむことができる。手を有効に使って入手できる食べ物は、引き千切ることのできる柔らかい葉や果実、根ごと引っこ抜ける植物、落ちた木の実、あまり素早くない虫や動物だろうか。

また、手で掴んだ木を揺らして、木の実を落とすこともできるし、手が入れば穴の中の獲物を引きずり出す事もできる。石を掴んで投げたり、棒を振り回したりもできる。

基本は手でつかむことで食べられるものとなる。

足の能力

猿のように木登りは上手くないが、練習すれば木に登れる。本来は地上のものを食べるが、必要に応じて木の上にあるものを食べられるということだ。さらに、練習すれば泳ぐこともできる。水の中のものを食べても良いということだ。

意外なのは、ライオンのように素早くは走れないが、実は人間は長時間走ることは地上の動物界No.1だと言われる。長時間走って、大きな獲物を疲れさせることができる。これは持久狩猟と言われる。出来ないのは飛ぶこと。

足があることで、木登り、水泳、走ることができる。これらで手に入れることができるものとなる。

口の能力

人間の歯はウシよりもライオンよりも色々なものに対応することができる。植物を食べるのにも困らないし、肉を食べるのにも困らない。

ただし、ワニやヘビのように生きた大きな獲物を骨ごと食べることは出来ないし、大きいまま丸呑みにしようとすると、オエッとなる。

つまり、雑食で、よく噛んで小さくして食べられるものを食べろということらしい。もちろん、旨いかどうかは主に口で判断される。

言語で仲間とコミュニケーションを取って、大きな獲物を協力して倒すこともできるため、なかなか器用である。

鼻の能力

臭いものや、いい香りのものを判断することができる。いい香りのものを食べるようだ。腐って臭いものは食べられないが、ヨーグルトや酢、納豆、味噌、醤油など、腐り方によっては食べれるので、食べられるかどうかは腐敗しているかどうかではなく、まずは臭いかどうか。

消化器の能力

胃で酸性の液体を出すことで肉などのタンパク質を分解し、小腸でアルカリ性の液体を出すことで炭水化物を分解。大腸では残ったものを共生菌で発酵して栄養にする。

また、肝臓などで多くの毒素を分解することができる。

捉え方は色々あるが、肉が先で植物は後回し、植物の多少の毒は分解できるということだ。

道具を扱う能力

手足や高い知能を使うことで、物を加工して刃物にしたり、毒を塗って獲物を仕留めたり、餌を釣り針につけて釣ったり、生物では唯一?火を扱って茹でたり焼いたり、色々できる。

効率的に移動する道具を作り、遂には飛べるようになり、地球上の全ての食べ物を東京で食べようと思えば食べられるほど人間は道具に対して進化した。しかし、それはやり過ぎたようで、人間たちが病気になっている。人間らしさは残しつつ、病気にならないラインで過ごしたいところだ。

最も基本の食べ物

これまで上げた人間の能力には、2パターンある。先天的にできることと、後天的に獲得することである。先天的とは簡単に言えば、猿や原始人にでもできること。一番の基本的な食べ物は、猿にでも食べられるもの、と言うのはほぼ間違いないだろう。

By: Leszek LeszczynskiCC BY 2.0

自然界に普通にあって、道具や火が一切無くても食べられるのは、毒の少ない植物の果実・木の実・葉・芋・種子、毒のない虫、手づかみで捕まえられる動物である。

ちなみに手づかみで捕まえられる動物とは、ヘビやトカゲなどの爬虫類、巣の中で大人しく寝ていたり死にかけたりで逃げられない動物、動物の死骸、動物の卵などだろうか。魚やネズミ、ウサギ、鳥などの小動物は、捕まえるのは難事だが、条件次第で捕まえられないこともない。

前回も説明したが、現代の果物を含む栽培作物は、品種改良で本来の自然界のものではなくなっているため、ここには入らない。

放置して発酵した猿酒も、ここに入るだろうが、あまり多くは手に入らない。

狩猟採集時代の食べ物

少し人間らしく、簡単な道具や少しの火が使えると、もっと食べられるものが出て来る。

OpenClipart-Vectors / Pixabay

おおよそ狩猟採集時代の食料、アイヌやイヌイットなどの狩猟民族をイメージすると良いと思う。長尾先生の先住民食はこれをモデルにしている。

大きな動物や素早い動物、網や釣りでとれる魚、刃物が必要な固い植物などもいけそうだ。
徐々に簡単な農耕は行われ始め、元々毒のあまりない栽培植物はここに入る。昔のトウモロコシとか、カボチャとか。生でも食べられるものは、おおよそここに入る。また、ちょっと茹でてアク抜きして食べられる山菜や芋もこの辺だろう。

ちなみに日本原産の作物と言われるのは、ウド、ヤマノイモ、セリ、フキ、ミツバ、みょうが、ワサビ、ゴボウアザミ、ハマボウフウ、タデ、ヒシ、ツルナ、ジュンサイ、アサツキ、サンショウ、ユリ、クロクワイ、カンゾウ、クコ、オニバス、また、マッシュルーム以外のキノコ類だそうだ。(wikipedian談)

南の島ではサトウキビの原種はここに入るかもしれないが、たくさん食べられる時代はまだまだである。もちろん、今のスイートコーンや果実はまだ入らない。

農耕時代の食べ物

かなりの知識が必要なものや、調理があると食べられるものは、より人間らしいと思う。ここからは人間しか食べられない食べものもある。

麦の穂
AnnaER / Pixabay

おおよそ農耕時代の食料と考えてみたい。ただし、この辺の時代から虫歯が増えてきたらしい。

また、穀物などの炭水化物は人間は加熱することで旨くなり食べられる。ついでに肉は生でも食べられるが、焼いたほうが旨いのは、消化しやすくなるからだ。

品種改良以前の麦やコメなどの穀物、養蜂やサトウキビの無精製は、ここに入る。ただし、日本でサトウキビは、霜の降りない四国や九州の南の方でしか普通には栽培出来ないし、日本にいるのは簡単に養蜂できないニホンミツバチのだ。

ちなみにフグの毒を除くのも人間の領域である。フグの毒には苦味は感じられないらしいが、毒が強すぎて少しでも死んでしまうから学習する暇がないからだそうだ。毒が強すぎる毒キノコも、もしかしたら苦く無いのかもしれない。

文明的な食べ物

特にここ200年ほどの間に食べ物の種類はすごく増えた。

imnow316 / Pixabay

高度に精製しないと食べられないもの、季節外れ・地域外の植物、放射線照射などの特殊な品種改良された植物は、もはや文明的な食べ物だろう。

中でも特に身近にあるのは、砂糖や化学調味料、化学調味料まがいのたんぱく加水分解物や加工エキス、加工でん粉、人工甘味料、添加物、薬などの科学的に精製して得られるもの、遺伝子組換え作物由来のもの、放射線で改良したコメやパン小麦にスイートコーン(我々現代人が普通に食べている品種)などだろうか。全部詳しく説明すると、書籍になりそうなぐらいだ。

特に人工的な味付けの罪は大きい。本来の味覚があれば、吐き出すはずの緑ジャガイモや洗剤混入食品を、オイシイと勘違いするような味付けで食べているから、度々食中毒で重症になる事件がおこるのだ。

今の食卓と言うのは、お母さんの手作りであっても、スープの素や、ミックス調味料、偽物の調味料(醤油・味噌・味醂)が溢れている。うちは味○素使わないのよ、ってお母さんは、使っている中華スープの素に化学調味料が含まれていることに気づいていない。ほとんどが、手作りなのは本当でも、手作りの味ではない。一部の天然のダシに拘る人は、「ツウ」だなどと趣味扱い。本当の味が必要なのは、それが栄養であり、生きた食品だからだ。

色々な食の専門家が指摘するように、一番進化したはずの文明的なものが一番、病気の原因になっている。しかも、それが皆が大好きなものばかりだ。そのうち精製食品にも適応するのかもしれないが、そのような高度な道具を必要とする食べ物は、今は人間本来の食べ物ではないらしい。

何を食べるべきか

現代食は毒まみれ、もちろん自然界だって別な意味で毒まみれ、現代食をどこまでなら食べても安全かと言うのはないし、これは絶対一切ダメというのもない。逆に自然ならば100%安全と言うのは嘘になる。しかし、自然に近い原始的なものは、今の我々にとっては、薬やサプリのイメージに近い。

これまでの経験上、狩猟肉や天然魚、山菜、野草、本物の発酵食品を多く食べているような人は、かなりの健康体だった。目が違う。生きている。時折スーパーフードだなんて言って海外の植物をもてはやしたりするメディアもあるが、野生に何であれ近い植物には現代食では不足しがちな栄養素や免疫を活性化させてくれる成分があるようだ。高い海外の植物を買わなくても、日本人にとっては、先に上げた日本原産の作物、これらがスーパーフードだと言える。

理想としては、自然に近い食事。すぐには切り替えられない人も、ときには人間本来の食べ物を薄味で食べることで、徐々に感覚が研ぎ澄まされて本来の味覚を取り戻し、理想的な食事に近づいて行く。一時的に完全な自然食を勧めることはあっても、一生現代食をすべて捨てる必要は無い。感覚さえ取り戻せば、病気からは遠ざかっていく。

僕も時にはラーメンなどの外食や加工食品を購入をするが、旨い店は、数%ぐらいの体感である。そういう店は、特にメディアで宣伝されなくても、遠くても通ってくれる常連さんが付いている事が多い。無意識かも知れないが、わかっている人はわかっているのだろう。

目指す野菜

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僕が畑で目指すのは、野草のような野菜である。旨くて元気になる。そんな野菜ができるような環境を整えるだけだ。あとは勝手に生きて増えていく野菜を、美味しくいただくのみ。


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